東京地方裁判所 昭和30年(ワ)3090号 判決 1961年3月27日
原告 東山電器株式会社
右代表者代表取締役 山崎又一郎
右訴訟代理人弁護士 田中米太郎
被告 三輪製薬株式会社
右代表者代表取締役 三輪新介
右訴訟代理人弁護士 戸田宗孝
同 小林庸男
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
被告が酵母剤の原料の製造販売、試験薬品の製造販売、穀類以外の物質の製粉及びその製品の販売等を業とする会社であること、昭和二六年一一月一〇日午後六時頃肩書地所在の被告の工場において、その被用者掛川文一らが被告の業務として製粉していた物質(以下本件物質という)より火を発し、被告方工場を焼失し、隣接の原告方事務所等に延焼したことは当事者間に争いがない。そこで右火災発生の原因について検討する。
成立に争いのない甲第一号証の三、四、第二号証、第五ないし第一〇号証、第一四号証、証人菅谷政雄、同掛川文一、同城戸正の各証言(但し城戸の証言中後掲措信しない部分を除く)並びに弁論の全趣旨を綜合すると、被告は、当時右各営業目的の内でも主として酵母を利用した栄養剤原料の製造と泡沫消火剤の製造を行つていた、消防法別表所定の危険物を取扱うことは主要な目的としていないので、同法所定の危険物取扱いに適合する製造所、貯蔵所又は取扱所としての施設を有していなかつたが、可燃性の薬品若干を取扱うためかねて消防署から災害予防の設備を充実するよう指導を受けていたこと、被告は、従前マグネシウム又はその化合物の製造製粉等を取り扱つてはいなかつたが、製粉の設備を有することから、昭和二六年一一月三日頃、訴外大和化学工業株式会社より、マグネシウムと称する、一個が重さ五キログラム、縦約八寸、横約六寸高さ約七寸のなまこ型をしハトロン紙と銀紙で包まれた黒色の堅い固型物合計三〇〇キログラムを粉にするよう依頼され、被告の管理薬剤師城戸正がこれを検査し叩き割つた中の状態から酸化マグネシウムを含む物質と推定し、二〇ないし三〇グラムずつ三度煉炭の火に入れてみたところ、五秒位で引火し強く炎上したが、この程度の引火性では製粉するに危険のないものと判断し、被告の工員をして、金槌で右物体を叩いて小さな塊りに割り、それを製粉機にかけて粉末とする作業を行わせ何らの事故なく、全部の製粉を完了したこと、同月一〇日再び同一人より同一所見の本件物質一、七六五トンの製粉の依頼を受け、同一の方法で製粉すべく、同日午後六時少し前より、被告方製粉工場内において依頼者側の使者植村安一立会の下作業を開始したこと、その際、同工場内の奥に箱入りの本件物質の大部分を置き、その入口近くと中央部に、鉄製ドラム罐を横に切つて直径七九センチメートル、深さ二七センチメートルのたらい状にした容器を一個ずつ置きこれに本件物質の塊りを数個ずつ入れ掛川文一ほか四名の工員が金槌及び木槌でこれを叩いて粉粋する作業を開始し、やがて槌で叩いた際に石と石を打ち合わせて生ずるような火花を発したが、植村が引火性はないというのでそのまま作業を継続したところ、作業の開始後約一五分を経過したとき入口近くの容器の中で、砕いて粉状又は小さな塊りとしたものの四、五ヶ所が突然たばこの火位いの大きさで炭火状の火を発し、掛川らは突さに消化のため戸外へ運び出そうとして右容器を持ち上げたが、容器が傾いて砕いた粉と火が混和して炎をあげて燃え始め、傍らに備えてあつた泡沫消火器により消火剤をかけるとにわかに火炎が高まつて天井に達するようになり、次いで傍らにあつた酵母、硫酸バンド等の包装のクラフト紙の袋に燃え移り、水をかける等の消火作業も及ばず、発火後一、三分の間に建物の構造に燃え移つて右のような火災に至つたものであること、右火災により本件物質はすべて燃え尽し、あとは白色の灰が残つたのみであること、以上のような事実が認められる。証人城戸の証言中右認定に反する部分は措信し得ない。
ところで原告は右火災を爆発による失火であると主張するが、いわゆる爆発とは、理化学上の爆発現象であつてそれより生ずる強圧力の作用又は多量の反応熱等により直接公共の安全をみだし、又は人の身体財産を害するに足りる破壊力を伴う現象をいうものと解すべきところ、右認定の火災発生の状況に照すときは、本件物質は当初炭火状に燃え始めて順次火勢を拡大したもので、短時間とはいえ他の物に燃え移るまでに多少の消火作業をなし得る時間的余裕があつたものと認められ、その発火に当り瞬間的に他の物に危害を及ぼすべき強度の風圧多量の反応熱等を生じた形跡はなく、それ自体から直接の破壊力を生じた爆発現象があつたものとは認められない。もつとも前掲甲第一号証の四の内には、「火焔の中から時々白光色の爆発的現象が伴い」とか、「薬品火焔と思われる白光色の爆燃が断続的に起つていた」という記載が、同じく甲第二号証には「青白光の火焔を発し小爆音を発しながら燃焼し」との記載がそれぞれみられるが、証人菅谷の証言によれば、右爆燃(爆発的燃焼)とは大きな音響、風圧等を伴ういわゆる爆発ではなく、単に炎が勢いよく上ることを意味することが認められるばかりでなく、証人掛川の証言によれば当時本件工場内にはドラム罐入りアルコール系統の可燃性薬品があつたことが認められ、これが延焼により右にいう爆発的燃焼をしていたとも考えられるのであつて、火災当初に本件物質が爆発したことの証拠とはなし難い。従つて本件火災を爆発物の爆発による失火と認めることはできないものというべきである。
そこで本件火災の結果第三者に生じた損害につき被告が賠償の責を負うためには、失火の責任に関する法律の適用により、失火者に重大な過失があることを必要とするものであるから、以下被告の被用者の重過失の有無について考える。
原告は、本件につき消防法第一〇条、第一一条違反を主張し、その前提として本件物質が同法別表第二類金属粉Aに該当するマグネシウム五〇〇キログラム以上を含有するものとするところ、前掲甲第五号証、第一四号証、成立に争いのない甲第三、第四号証、第一一ないし第一三号証によれば、本件物質のもとの保有者関東化学株式会社の社員、これを同会社から買受け他へ転売するため被告に製粉を依頼した大和化学工業株式会社代表者岡村恒太郎並びにこの取引に介在した盛田丈夫、古川万造、植村安一、谷内良一らは、いずれも本件物質をマグネシウムと認識していたものと認められるが、一方証人掛川、同城戸はこれを酸化マグネシウムと聞いて受領したと供述するしかし証人城戸の証言と弁論の趣旨によれば、マグネシウムは、天然には炭酸塩、硅酸等の塩化合物として存在する鉱石を、溶融し電気分解により析出して得られるもので、通常その純粋なものは銀白色の軽い粉末又はリボン状をなし、医薬品の試薬、化学薬品の合成、写真のフラツシユ等に用いられ、衝撃を与えればせん光を発して燃えるものであること、酸化マグネシウムは炭酸マグネシウムの化合物を高熱し酸化させて得られるもので、白色の粉末をなし、耐火、耐熱セメントの原料、塗料、制酸(胃)剤等として用いられるが、不燃性の物質であることが認められ、一方前記認定の本件物質の色彩状態等からみれば、本件物質は純粋のマグネシウムとも酸化マグネシウムとも又、マグネシウムを含む天然の鉱石とも認められず、仮にこれを一部含んでいたとしても相当量の他の物質に混じつていたものとみるほかはない。もつとも前記のように、これから火を発し(火を発したのは金槌等で叩いた衝撃で生じた摩擦熱のためと推測される)その全部が燃えて白い灰を残したことの結果からみれば、幾分かのマグネシウム等容易に発火する物質を含んでいたと推測されるが、これが消防法別表所定の危険物をその所定の数量以上含んでいたことの証拠は見出し難いので、同法違反の主張は採用し得ない。
そして本件物質は、前記のように、前にこれと同一と思われる物質の粉末を煉炭の火に投じて五秒位でようやく引火したこと第一回目の粉砕作業が何ら事故を生じなかつたこと等からみて、純粋の金属マグネシウムに比し引火性又は発火性が弱く、危険度の少ない物質であつたと認められるし被告の被用者らが右のような実験により引火性のさほど強くないことを一応確認し、第一回目の作業を無事に終え、再び全く同一と考えられる本件物質を同一方法で取扱うことにつき大きな危険を感じなかつたことは、甚だしい不注意により危険性の認識を誤つたものということはできない。
もつとも、前記甲第八号証中には掛川の供述として「煉炭の火の中に入れたら五秒位で物凄い火になつたので火が出たら駄目だと思いました」との記載があるので、両人は、右実験の結果、本件物質が可燃物であつて、何らかの事由で引火した場合は、短時間に抑圧し難い火勢となつて大事に至ることもあり得るものと予測していたことが窺われるし、同じく甲第九、第一〇号証によれば、粉砕作業に加わつていた製薬工岡田エイ、雑役婦染谷タマらは、予め本件物質に発火の危険があると聞いて居り、作業中前記のように火花を発した後は、不安を感じながらも、引火性はないといわれてなお暫く作業を継続していたことが認められるけれども、燃焼開始後の消火の困難を予測することと引火又は発火自体の危険性を認識することとは別問題であつて、本件物質の危険性は右のように火中に投じて約五秒で引火する程度であり且つ第一回の作業は無事に完了しているので、掛川らは作業中石を打合わせたときに生ずる程度の火花が散つてもそれが直ちに本件物質に引火する恐れはないものと判断し(即ち右染谷、岡田らの不安も、明確な根拠があつてのことではなかつたと考えられる)、他に発火の原因を与えない限り槌で叩く衝撃のみでは火災に至る危険がないものと考えて作業を継続したものと推測され、このように考えたことは多少軽卒であつたとしても、甚だしい不注意ということはできない。証人掛川の証言によれば、同人は明治薬学校を中退し、大正一一年以来被告会社に製薬工として勤務する老練の工員であつたと認められ、城戸正は前記のように薬剤師であつたので、これらの者に、被告会社の取扱う薬品等が火災を誘発し人の身体財産に危害を及ぼすことのないよう注意を尽すべき業務上の注意義務があるものというべきであるが、前記のとおり被告は本来危険物の取扱いを主たる営業目的とするものではないから、その被用者らにおいて、薬物の危険性についての認識が正確でなく、前記の実験等の結果から、本件物質が衝撃のみで容易に発火するものでないと判断し、その判断が結果的に誤つていたとしても、直ちに重大な過失があるものとはいい得ない。
次に、前記のように、本件物質の取扱いに際し、掛川らは、これを鉄製容器に入れ、予め泡沫消火器を傍らに用意して一応防火の措置を講じて、居り、発火後の消火作業には多少の不手際があつたとしても火を見て多少うろたえることはやむを得ないことであるし、急激に炎上したわけではなく消火器の使用も時間的に間に合つていたとみられ、右消火器の使用がかえつて火勢を強める等の事態は、危険物取扱いについて専門的知識を有しない同人らにおいて通常人としての常識をもつてしては予測し難かつたものと考えられるので、発火後の消火作業に不当な措置があつたともいい得ない。
そのほかすべての証拠によつても、被告の被用者らに甚だしく注意を欠く点があつたことを認めるべき資料は見当らないので前記認定事実のもとにおいては、本件失火につき被告の被用者らに軽度の過失は免れないとしても、未だ重大な過失があつたものと認めるには足りないものといわなくてはならない。このような次第で、本件失火により生じた原告の損害につき、被告が賠償の責に任ずべき理由はなく、原告の本訴請求は失当たるに帰するので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 西川美数 裁判官 佐藤恒雄 野田宏)